University Insightでは大学内の一研究者の視点から,大学をもっと良くするためにはどうすれば良いかを考えていきます.
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今回は研究室の運営方法の設計について考えていきます.私立理工系ではよくある光景かもしれませんが,それ以外の分野の方には,もしかしたら新鮮かもしれません.
私が考えている唯一の研究室運営目標は,「この研究室に所属してよかったと学生が思えて卒業できること」です.
現在,研究室には学部3年生が10人,学部4年生が12人,大学院生が8人の合計30人が所属しています. 即ち,30の研究テーマが同時に走っています.
学部3年生は卒業研究の事前準備を意識したプレ卒研を実施します.そして,学部4年生の卒業研究は学会発表レベル,大学院生(修士課程)は国際会議+投稿論文を書くレベルという目標を定めています.これは教育効果を得るためであるのと同時に,全ての研究成果が社会の目に触れる状況を意図的につくることで,私自身が中途半端な指導をしてしまわないようにするための目標でもあります.
指導教員は私1人です.したがって,問題は,教員1人でどうやって,30人の学生の成長と研究の質を担保すれば良いか?です.
まず,諦めなければならないことがあります.それは自分で手を動かし,観察し研究結果を得ることです.それをやり始めると,全体の動きが止まることになります.
30人に対して,週に20分ずつの研究ミーティングを行った場合,合計で10時間を要します.私の状況では週の労働時間は,8時間×5日間=40時間です.即ち,25%を研究室の学生の指導に使うということになります.その他の時間は,授業,論文や解説記事の執筆,添削,学外活動,研究構想,予算獲得,事務業務で埋まっていますので,私が自ら実験や解析,観察を行う時間は残されていません.
自ら手を動かして研究結果を得たほうが,達成感を高めることはできます.しかし,それは「研究室が回らない」「学生が指導を受けられない」ということでの不達成感とのトレードオフになります.もっとシニアの研究者になってから,このような感覚になるものだと思っていたのですが,30の研究テーマを同時に動かすという状況下では,どちらの研究スタンスが良いかは明らかです.
もう一つの対応策として,学生によって指導に濃淡をつけるという考え方もあります.しかし,これは学生は同額の授業料を払っている以上,教育機会に差をつけるわけにはいきませんし,何よりも研究室の一体感が損なわれ,運営が不安定になる可能性があります.
以上のように前提条件を置くと,学生たちの創意工夫,観察力,考える力を信じ,その指導を通して教育と研究を進めていくことが最適解となります.(ただし,対外的な責任や研究データの質の管理,倫理・安全の管理,新規性の担保と妥当性確認,決裁は教員が負うことが前提です.)
では,一人あたり週に20分間の研究指導で,30の研究をどのように進めていくか?を考えていきます.卒業研究は学会発表レベル,修士では投稿論文レベルとしたうえで,です.
4つの心理学理論
そこで,以下の4つの心理学理論に基づいて,研究室の運営設計を行っています.
① 自己決定理論(Self-Determination Theory)
人が自律的に動く(内発的な動機付けが得られる)条件は,次の3つが満たされるとき,という理論です.
自律性: 外的な強制ではなく,自分自身の選択として行動していると知覚できること
有能感: 試行錯誤を通じて成長や前進を実感し,自分の力が機能していると感じられること
関係性: 他者との相互的なつながりの中で,心理的に支えられていると感じられること
この3つを研究室では特に重視しています.
② 目標勾配仮説(Goal Gradient Hypothesis)
人は目標が心理的に遠い状態では行動を起こしにくく,目標への到達が近づくにつれて,行動の頻度や努力量が加速する傾向をもつ,という理論です.
即ち「来年の1月には卒業論文を書こう」といった抽象度の高く,時間的にも遠い大目標のみを提示しても, 自律的な行動は生じにくくなります.一方で,「今週どこまで到達すればよいか」「次に何をすればよいか」といったマイルストーンが具体的に可視化されると,行動は促進され,継続しやすくなります.
長時間のミーティングをたまにやるよりも,短時間で頻繁なミーティングを行うほうが良いということになります.
③ 社会的比較理論(Social Comparison Theory)と社会的促進(Social Facilitation)
人は他者の行動や進捗状況を参照することで, 自身の行動水準や努力量を調整する傾向をもちます. 特に,同じ集団内の他者の進捗が可視化されると, 行動の開始や継続が促進されやすくなります.
一方で,進捗を優劣として提示することは, 劣位に置かれたメンバーの有能感や自律性を低下させ,かえって行動抑制や回避行動を引き起こす可能性が高くなります.したがって,比較ではなく,他者も進んでいるという事実が伝わる水準での可視化が重要です.
自然に研究室の他のメンバーの動きが目に入る場の設計が重要となります.
④ 安全基地理論(Secure Base Theory)と心理的安全性(Psychological Safety)
人は「見守ってくれている存在がいる」と感じられるとき,安心して挑戦することができます(安全基地).また「率直に意見が言える」「ミスを隠さず共有できる」雰囲気(心理的安全性)が醸成されると成長は加速します.
研究室運営においては「細かく指示され続ける状態」でも,「放置されていると感じる状態」でもなく,必要なときには支援が得られるという安心感,オープンに議論できる雰囲気を維持することが重要です.
図 失敗を恐れずに安心して挑戦できる環境を整備
(「授業」から「研究開発」への評価軸の変化を理解する.)
つぎに,以上の理論を,具体的な研究室運営の設計に落とし込んでいきます.設計要件から図面に落とす要領です.
研究目標の設定とオーナーシップ
指導教員は新規性と実現可能性の保証されたゴールを示します.即ち,「そのゴールを目指せば,学会発表・投稿論文・特許に自然と結びつく」という状態を創ります.ゴールの設定は,経験の浅い学生にはなかなか難しく,指導教員が責任を持つ部分です.
学生が自らゴールを構想することは,本来は教育上重要なことですが,それは教員自身に余力がある場合に設定できる目標でしょう.(自ら工程調査を行い,現場課題を探し出してきて,研究を始めてしまう学生も稀にいます.が,どの学生でもできるわけではありません.)
ゴールが設定できたら,そこへたどり着くまでの道筋は学生が自ら考えます.教員はゴールまで並走する立場であり,研究のオーナーはあくまで学生です.学生自身が研究手段を選んでいるという感覚(自律性)を残し,「自分の頭で考えて進めたこと自体」を毎回の研究ミーティング認めてもらう(有能感・安全基地)というサイクルが重要です.
決して教員が研究のオーナーであり,学生がその補助をするという構図にしないことが重要です(大学の仕組み上,そういう建付けにしなければならないとしても,心理的には…).
もし,教員がオーナーシップを手放すことができなければ,それは,教員のもつ固定観念の域から研究が脱せないということでもあります.オーナーシップを手放したくないと思ってしまうテーマも実際にはありますが,コミットの度合いは学生の自律性を損ねない範囲で調整します.
図 教員はゴールを設定し,研究のオーナーシップは学生が持つ.学生と教員は対等な関係で関わりあう.
研究予算
その研究で使える予算額だけを示し,具体的にどう使うかは学生が考えるようにします(自律性).実験材料や測定機器,金型を製作するときの見積り比較や,納期の調整なども学生が担います.社会人になったときに必要となる,予算内でアウトプットをどう最大化するか?というマインドに触れることができます.こんな低予算でシステムが組めるの?というような,私には思いつかない,様々な創意工夫が出てくることもしばしばあります(有能感).
学会等が主催するセミナーに参加して,研究のための情報収集をしたいと申し出る学生もしばしばいます.そのような場合にも出来る限りの支援を行います.
もちろん,教育目的の範囲で考えてもらうということが主眼で,予算執行の確認と承認は指導教員が責任を持って行います.また,研究予算を外部から獲得することは教員の役割です.学生と大学事務とのやりとりも多く発生しますので,大学事務部門の支援により成り立っている部分も多分にあります.
議論するためのフレームワーク:MyWTs
研究室内を7~8人の班に分けて,その班での週1回の頻回のミーティングを行います(目標勾配仮説).ゼミとは呼ばずに,フラットに議論をする場であることを強調するために「研究ミーティング」と呼んでいます.教室ではなく,テーブルを囲んで同じ目線の高さで議論を行います(心理的安全性).
テーマを進めるのは学生それぞれですが,考えるのは班のメンバー全員であるという状況をつくります.大学院生が学部生へ助言するという場面が多くあります.班内の他のメンバーの進捗が自然と目に入り社会的促進も起こります.また,関係性も深まります.
この研究ミーティングでは,一人あたり20分の時間が割り当てられます.この20分間を密度の高い議論の場にするため,学生は1週間の時間をかけて無理のない自分のペースで準備を行います.このミーティングの前日には,教員抜きで班メンバーのみでの読み合わせが行われています.この事前ミーティングでは,技術的に互いにコミットしても良いし,何をどういう順番で話すかが整っているか?だけの確認でもOKです.
一人20分間の研究ミーティングでの議論には,報告のフレームワーク「MyWTs」を使います.即ち,もくてき(M)・やったこと(Y)・わかったこと(W)・つぎやること(T)・そうだん(S)をそれぞれの学生が簡潔に報告して,データの妥当性や次のステップを議論します.MyWTsの「もくてき(M)」では,研究の最終ゴールとなる大目標と,その週のゴールとなる小目標を毎回振り返ります.目標勾配仮説に従い,細かく目標を刻んでいきます.もちろん,失敗や,新たな課題の発見,進まなかった原因を「わかったこと(W)」に堂々と入れても構いません(心理的安全性).
私から見て多少の回り道があったとしても,やらまいか(やってみよう)精神で,建設的な対話を行います(心理的安全性).逆に,思わぬ発見に結び付くこともしばしばあります.
研究倫理教育もこの中で行っていきます.
この研究ミーティング以外の時間では,学生同士は対面での議論や相談を随時行い,教員からは対面やSlackによるフォローアップを行います(安全基地).進捗や困りごとが常に可視化されることで,関係性と社会的促進が生まれます.
2か月に1回は,全員が教室に集まり月例報告会と運営会議も行い,ベクトルを合わせます.
研究の場面以外での,関係性の構築と社会的促進
以上は,研究活動の中での関係性の構築でしたが,その他にも様々な仕掛けを試しています.
図は,研究室運営の役割分担です.学部生全員が役割を持ち,大学院生は助言する立場となります.たとえば,イベントの企画,会計,夏合宿の企画,ソフトウエアライセンスの管理,大掃除の企画,広報などの役割があります.総務は全体を取りまとめるポジションで,教員とのパイプ役になります.役割の種類に過不足があれば,運営会議で話し合い,クラッシュ&ビルドを行い,円滑な運営が進むようにムリ・ムダ・ムラを無くしていきます.
研究以外の役割を持つことで,研究で悩んだときに直属の先輩だけでなく,斜め上の先輩とも気軽に会話できる関係性の構築に結び付きます.また,研究室に受け入れられているという感覚(関係性)を強めることができます.
定期的な実験室の大掃除,研究発表会を兼ねた山中湖夏合宿,外部機関での共同実験,懇親会なども関係構築の機会として機能します.
安心して話せる関係性があってこそ, 挑戦も失敗も共有でき,それが,研究推進や成長にも繋がります.
図 総務(学生の代表)が作成した研究室運営の役割分担表.各リーダーが旗を振り,全員で実行.
また,学会での他大学の学生(社会的比較・社会的促進)や,企業技術者との直接の対話を通して,「自分の研究が社会で役に立つ可能性」も感じることができるでしょう(有能感).
入職した頃は,この表にある役割や,外部とのコミュニケーションの仲介を私一人で担っていたのですが,それを手放して学生に渡したことで,良い面も多くあるように思います.
教えることでの学習効果
学習定着率を示したラーニングピラミッドを図に示します.人に教えることが最も学習効果が高いとされています.研究室では複数の研究班を作り,その中で先輩が後輩に研究テクニックや考え方を教える流れをつくっています.教えることは大変な面もありますが,これにより,まず先輩自身が知識を再整理でき,そして,後輩に頼りにされることで有能感を得ることができます.
後輩にとっては,自分の将来の姿がイメージでき目標を定めることもできます.また,気軽に聞ける先輩がいることで,関係性と安全基地を確保できます.卒業論文をきちんと仕上げる目的の半分は「研究を引継ぐ後輩のため」と定義しています.研究内容だけでなく,先輩オリジナルの,装置やソフトウエアの操作マニュアルも卒論の付録に収録され,何世代も参照される価値ある論文になります.
図 研究室では効果の高い「他人に教える(引継ぎ)」「自ら体験する(研究)」「グループ討論(MyWTs)」を活用
(ChatGPTにより作図.「ラーニングピラミッド」に示される定着率の数値については,科学的根拠の妥当性をめぐり議論が続いている.)
運営方針の浸透
私の頭の中だけで運営方針が動いていても仕方がありません.この方針で研究室が運営されていることを,学生全員が理解していることが重要です.研究室への配属時,また,事あるごとに方針を伝えます.
この方法のデメリットとは?
学生自身が学ぶ立場でありながら,研究室の運営の一部担う立場にもなります.それ自体は成長の機会となりますが,心理的安全性とセットで無理のない運営設計をしなければ,負担を感じてしまう可能性もあります.たとえば,課外活動に大きな比重を置く学生がいる場合は,両立を個別に調整する工夫も必要ですし,学生個人の特性に合わせた合理的配慮も必要となります.
学生の教育を通して研究を行うデメリットは「教員自らが手を動かすタイプの研究を中心に置けない」ということです.たとえば,高度なプログラムのコーディングや理論計算をやろうとした場合には,平日に教員がまとまった時間を確保することは難しい状況です.
研究開発組織が自走するとは?
研究室が自走するとは, 教員がいなくても勝手に回ること(=放置)ではありません.教員のサポートを受けながら,学生同士が互いに教え合い(有能感),助け合い(関係性), 自分たちで次の一歩を決められる状態(自律性)のことだと考えています.
教員一人の力だけで,30人を指導することは不可能です.しかし, 30人が互いを支える運営方法を設計することはできます.ここで示した方法は一例で,講座制のない私立大学であっても複数の教員が組んでコンソーシアム的に研究室を回したり(2人で組んだら,学生も2倍にはなりますが),研究者を臨時雇用したり,公的研究機関に学生を派遣したり,それぞれの研究室なりの方法で良い運営を追求しているのが現状です.(ただし,外部派遣の場合には,学生を労働力としてではなく,教育対象として見てくれるか?という信頼関係が必要です.)
産学連携や社会実装などの研究成果を「使う活動」は大学としても支援しやすく,評価も受けやすい施策です.これが重要であることを疑う余地はありません.
一方で,多人数研究室の運営の理論は体系化されておらず,特に若い教員は試行錯誤的に自力で作り上げる必要があります.ここが研究成果を「創る活動」の一要素になりますが,光が当たりにくい部分でもあります.
たしかに,研究予算を増やせば,高額な実験装置を買うことが可能になります.しかし,研究者(指導者)を増やすにはもっと大きな予算が必要で,そこまでたどり着かない研究室も多くあります.研究予算を有効に活かす人の部分にも着目が必要です.ここに,人口減少社会の中にあっても,「教育・研究力で強みを出せる大学」であり続けるための一つのヒントがあるように思えます.
おわりに
今回紹介した方法は,自己決定理論により内発的動機付けを引き出し,目標勾配仮説と社会的促進によりモチベーションを維持し,安全基地理論で全体を支える仕組みです.30人の学生を1人で見るという環境に適応しようとして,それ自体を熟達目標化することで生まれた産物です.これは,塑性加工の研究成果を生み出す土壌であるのと同時に,「技術者が育ち続ける仕組みの構築」に向けた工学研究そのものであると最近感じています.
企業の技術開発現場でも,活気があり成果が出る組織では自然と今回紹介した方法に近い運営が出来ているように感じます.大学のみならず,どの研究開発組織でも使える可能性がある方法のように思います.
技術の研究同様,仮説通りにいかないケースも多々あります.もう少し進化させたいと思います.(K)
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