大学内で「知」はどこに蓄積しているのか? ー社会に知を渡す具体的方策ー【University Insight】

 University Insightでは大学内の一研究者の視点から,大学をもっと良くするためにはどうすれば良いかを考えていきます. 


 (ここをクリック=NotebookLMによる音声解説,Studio⇒▶の順にクリック.)

 今回は,大学のアウトプットの一つである「投稿論文」を増やして,大学の「知」を流通させる方法について考えます.

図 「知」は研究室の「卒業論文フォルダ」に沢山ある(ChatGPTにより作成)


 大学においては,「知の拠点」「知の活用」などという言葉がよく使われます.

 大学の中には,見過ごされがちな「知(知識・知見)が溜まっている場所」があると私は考えています.それは,研究室のサーバーの中の「卒業論文フォルダ」です.今回は,なぜそこに知が溜まりやすいのか?その知を活用できるようにするにはどうしたら良いか?を考えていきます.

 「知の拠点」などのスローガンは,マクロをイメージした言葉ですが,もっとミクロに「」がどこにあるのか?を見ていきましょう.

 ミクロが分かると,具体的にはどうしたら良いか?が見えてきます.


大学の知はどう生産されるのか

 私の研究室には学部3年生が10人,学部4年生が12人,大学院生が8人の合計30人が所属しています. 即ち,30の研究テーマが同時に走っています.企業でいうと,一つの「研究部門」の規模を持つ組織です.この30人が研究に集中できる環境が研究室です.

 ここから生産される研究結果は,大雑把に平均すると,卒業論文が年に10本,修士論文が年に本です.また,学会では年に回の講演(学会発表)が,主に学生により行われます.


 この中で,卒業論文修士論文自体は外部に公表されることはなく,研究室内でのみ閲覧が可能な状態となります.公表されるのは学会発表の前刷りと,雑誌への投稿論文です.

 学会発表の前刷りは,卒修論の研究結果のダイジェスト版で,一般の企業等の読者は,わざわざ取り寄せないと読むことはできず,広まりにくい性質を持っています.

 一方で,投稿論文は近年ではWebで公開される場合が多く,簡単にアクセスすることができ,最も拡散しやすい公表の形態です.公表前には査読が入りますので,信頼性も保証されます.まさに,ここまで来て初めて誰もが「知の活用」を出来る状態となります.


 各媒体の内容の重さの体感としては,「投稿論文本 = 学会発表本 = 卒論本 = 修士論文本」です.

 前述したように,年に卒業論文は10本,修士論文は本が出来ますので,この重さの関係性に従うと投稿論文は年にが書けるはずです.

 ところが実際には,投稿論文は年にしか書くことはできません.修士の学生が本,私が本書きます.歩留まり33%です.残りの66%は,お蔵入り(サーバーの卒修論フォルダ入り)です.

 歩留まりは,非常に低位です.


大学の知はどこに蓄積されるのか

 冒頭のに,この様子を表してみました.ダム(卒論フォルダ)にはどんどん卒論が溜まっていきます.教員と研究室の学生は,ダムの中の知を覗き込み,知を吸収することができます.また,教員の脳内にも蓄積しますので,教員が生産現場への助言等で直接的に活用できるケースは多くあります.しかし,これらの場合を除いては,活用が難しい知となってしまいます.もちろん,卒論の執筆によって学生が成長できた(教育的活用)ことは,言うまでもありません.

 ダムに溜まったまま放置すると,やがて卒論は溶けて自然に帰ってしまいます.賞味期限は教員の退職までと考えると,30年後には跡形もなく消えている可能性が高い状態です.

 ここまでの整理をまとめると,研究結果の66%は,流通せずに,研究室のサーバーのフォルダの中と,指導教員の脳内に蓄積していきます.生産過多で販売ルートに乗せられず,在庫をかかえた状態です.

 研究室には10人以上の学生が,毎年配属されて来ます,ほとんどの学生は懸命に研究に取り組むため,知の生産量を調整することは不可能です.だからと言って,出口を意識しない工学研究を学生にさせることは,工学教育の意図するところではなく得策ではありません.

 ここで生まれる知を流通させる,良い方法はないでしょうか?

図 大学は,流通していない知を沢山保管している.もっと社会で活用できるはずである.


卒業論文の価値

 ところで,もし,卒業研究と同じことを,民間の事業として行ったらどうなるでしょうか?いつものように,思考実験をしてみます.

 学生は,控えめに平均すると週15時間(平日の3時間)をコツコツ研究に取り組み,年間で約780時間を研究に投入しています.これを,時間単価3,300円(技術派遣業界での平均単価[1])で換算すると,学生のかけた時間だけで257万円分の価値になります.

 さらに,教員は年間17時間週に20分を1年分)を,その学生個人への直接指導に充てます.時間単価を40,000円(教員の技術コンサルティング費用[2])とすると69万円です.加えて,実験材料や消耗品,旅費や宿泊費として,研究室の予算から学生一人あたり平均20万円が使われています.

 これらを合計すると,卒論1件あたりに投入される資源は「347万円」になります.


 これは,研究室の光熱費や,実験設備やワークステーションの減価償却,間接部門(事務組織の人件費等)を含まないかなり控えめな見積もりです.それらを含めれば,投入される資源は400万円をゆうに超えます.さらに,卒論に表現されたアイディアやノウハウ,「こうすると失敗する」というネガティブな知見まで含めると,その価値はさらに大きくなる可能性もあります.ここまでの思考実験で,卒論を研究室のフォルダに眠らせておくには,あまりにも勿体ないことが分かります.

 一方,研究を通して教育を受ける学生の視点で考えると,学生は学費を支払いながら卒業研究に取り組み,成果そのものではなく,自身の成長を目的としてこのプロジェクトに取り組んでいます.そのため,研究成果の外部発表や投稿論文化は,取り組めば学習効果は高くはなりますが,卒業の必須要件ではなく,ここは学生自身の意向が尊重されるべき部分です.

 なお,修士論文は2年間をかけて作成しますので,投入される資源は2倍の800万円ということになります.投稿論文は先に述べたように卒論2本分とすれば,それも800万円です.


卒論フォルダに知が溜まるメカニズム

 ここからは,卒論フォルダに知が溜まるメカニズムと,その知をうまく社会に流通させるにはどのような方法があるか?を考えていきます.

 まず,投稿論文化されずにフォルダに溜まっていく知の多くは「学部で卒業した学生の卒業論文」です.学部4年生のときに卒業研究に取組んだ学生は,学会発表や投稿論文執筆を経験することなく卒業する場合がほとんどです.研究の期間は1年間しかありませんので,卒論の執筆で手一杯です.

 学部を卒業後に大学院に進学する学生は,研究室メンバーの30%です.大学院の修士課程は2年間ありますので,その間に自身の研究を深めつつ,国際会議での発表と投稿論文の執筆に取り組みます.即ち,大学院まで進学した学生が得た「知」は社会に流通します.もちろん,投稿論文執筆は彼らにとっては初めての経験ですので,教員の充分なサポートが必要になります.

 以上のことから,解くべきは学部で卒業する学生の卒業研究」で得た知を,どう社会に流通させるか?という問題になります.



錆びついた水門を開ける:2億円の投資で,24億円の価値を回収する

<研究者個人として>

 端的に言うと,スコープもデータも揃った状態の研究結果が沢山あり,あとは投稿論文を書くだけという状態です.当人は卒業しているので,投稿論文を書ける人は,教員しか残って居ません.したがって,これまでUniversity Insigtで整理をしてきたように,「教員のモチベーション時間的・認知的余白を生み出すことが出来るか?」が「投稿論文が出るかどうか」を決めるということになります.


投稿論文執筆のモチベーション

 もう少し詳しく見ていきます.まずは,教員個人の執筆モチベーションに焦点を当てます.

 一般的に,内発的なモチベーションが高まるのは自律性・有能感・関係性(SDT理論)が満たされているときです.研究者の性格にもよるかもしれませんが,誰かと研究を計画しているときにはこの3つが同時に満たされていることが多いでしょう.また,学生や関係者と共に研究を遂行しているときには関係性が満たされやすく,次の一手を考えていくクエイティブな議論も多いため自律性も満たされやすいでしょう.研究が卒業論文として纏まったときにも,「新たな知見を見出すことができている」という有能感を,学生と共に感じることになります.

 しかし,投稿論文の執筆は,そこまで創造的ではないと知覚されやすく,孤独な作業となりがちです.大学院生は論文作成が上手くなりたい,それを通して成長したいと思っている場合が多く,それ自体を熟達目標化できるため,モチベーションも高くなりやすい傾向にあります.しかし,教員の場合には,慣れてしまい「作業」に位置付けられてしまう場合が多いのではないでしょうか.執筆時には,論理とデータはすでに整っているので,英語への翻訳,図や文章を整える作業,投稿作業,査読対応を実施していくということになります.論文1本につき80時間は必要となります.「先延ばし」が起こりやすい条件が揃っています.

 2月の研究が纏まった直後の,知的興奮と熱量があるうちはまだ良いのですが,4月になり新しい学生が入ってくるとその指導に追われ,日々の授業や,締め切りの迫った事務書類の作成により,まとまった時間の確保は難しくなります.締め切りのない論文執筆は後回しとなり,目の前の書類作成で小さな達成感を得ることがインセンティブを持つようになります.冒頭ののように,時間の経過とともに水門のハンドルは錆びつき,なかなか開けることが難しくなっていきます.

 慣れた論文執筆作業であっても,正月に書初めをするときのように,硯に墨を滑らせて,心を落ち着かせるのと同じ効果がある.と感じることもあります.しかし,そう感じられるのは時間的・認知的余裕がある場合に限られるでしょう.

 この他には,外発的動機付けとして,昇格や評価があります.また,論文数を上げて外部からよく見られたいという「承認欲求」もモチベーションの一つになり得ます.


卒論のテーマの性質はどうすべきか?

 研究者は,研究資金の得やすい研究(=政府が示した方向性など)に研究テーマを合わせがちです.それは,研究室の研究環境を維持するために重要であることは確かです.一方で,「予算はあるが,情熱や自律性が感じられない状態」となると,実験結果は出たが論文を書く意義が感じられない,もしくは論文は書けるが新規性が薄い論文になる,という可能性を含んでいるようにも感じます.

 したがって,研究予算を獲得しようとする際には,「研究者自身が心から情熱を注げるか」もしくは「ニーズを達成しつつ,自らの情熱が活きる内容に寄せられるか」を一つの判断基準にすることが必要なように思います.すべてのテーマでなくても2~3のテーマはそうなっていることが望ましいように思います.テーマに対して情熱があれば,論文を書いて世に知見を出そうというモチベーションも生まれます.

 このことは,研究終了後に「研究結果が得られている」ということに加えて,研究開始前に「情熱や自律性が確保できるテーマを選んだか」の両者が揃わなければ,論文化される可能性が低くなることを意味しているようにも思えます.

 言い換えると,「研究のための研究」を実行した瞬間に,論文が出ないことが高い確率で決まっているようにも思えます.研究をすること,論文を出すこと自体を目的化できている(遂行目標化)場合を除いては...


掲載雑誌をどう選ぶか?

 「Q1,Q2雑誌(トップジャーナル)でないと,業績として弱い」という言葉は,最近よく聞かれます.確かに,大学ランキングを押し上げたり,大学が国からの助成金を多く獲得することを研究の一つの目的とするのであれば,それは最適解になり得ます.Q1,Q2論文数を数えれば良いだけなので,評価をする側にとっても楽です.また,分野によっては,より権威のある雑誌に掲載したほうが読まれやすいというのも事実であると思います.

 一方で,技術の社会実装や,学生の指導時間を十分に確保するという観点では,「Q1,Q2論文に拘らず,とにかく外に出す」という方針でも,目的は達成できるのではないかと思うこともあります.今や,技術を実装しようとする社会の技術者たちは,AIを使って知見を検索します.どの雑誌であろうと,どの言語であろうと,オープンアクセスであればヒットさせることができます.そして,どの雑誌に掲載されていようが,良い技術は採用(参照)されるということも,また事実です.これは私が企業研究者であったときの実感としてもあります.

 これは,研究者個人の価値観の問題でもあるでしょうし,理学系と工学系とで考え方が異なるという側面もあるのかもしれません.本来,知見の公表の姿は画一的に決められるものではなく,個々の研究者の狙いに応じた最適解があるはずです.

 少なくとも,論文が読まれやすいこと」を目的にした場合には,今後は「AI検索でヒットしやすいかどうか」という視点が,掲載雑誌を選ぶ際の必要な条件になっていくと私は考えています.


<大学として>

 大学は年に1回,研究者の論文数を評価します.メーカーでいうと出荷検査を実施するイメージです.車両設計や生産設備導入,生産管理,資源の調達,論文執筆は研究者が担当し,出荷検査をやりますよ,という仕組みです.どの大学も同様かと思います.ここに,もっと論文を出やすくするための一つのヒントがあるように思います.即ち,出荷検査だけでなく,研究者の論文執筆作業自体を支援する施策が考えられます.

 ここまで整理してきたように,研究室の卒論フォルダにはすでに良質の「知」があります.それを投稿論文化する,即ち,英語への翻訳,図や文章を整える作業,投稿作業,査読対応が自然と進む環境の設計を考えてみます.


[施策案1]・・即効型

 熱が冷めないうちに,80時間を確保すると論文化できる可能性は上がります.たとえば,卒業論文が仕上がってから,授業が始まるまでの2月~3月で,自由参加の投稿論文執筆ブートキャンプを行います.参加教員の就業時間内に,投稿論文1本の執筆に必要な80時間(2週間)の集中できる期間を確保します.目的を「卒論を投稿論文化する時間」として明示し,参加者間で進捗を共有します.心理学理論の,SDT理論の「関係性」,目標勾配仮説,社会的促進を利用します.

 成績・入試・卒業・時間割調整で多忙な時期に特定の教員に時間を確保するためには,大学全体としてのコンセンサスが必要でしょう.したがって,卒論にすでに投入しているコストを大学としてしっかり回収するという視点に立つことが重要です.たとえば1500人の教員が居たとすれば,そのうちの20%の参加で300本の投稿論文が新たに生まれます.

 教員の執筆の時間単価を7,000円とすれば2億円の投資の再配分で,24億円の価値を回収できます.大学として,教育や研究を大切にしているという強いメッセージにもなり,教員のモチベーションの向上にも結び付きます.


[施策案2]・・根本解決型

 ここまで整理してきたように,研究テーマの設定時に「情熱や自律性が確保できるテーマを選んだか?」が,投稿論文化しようとするモチベーションを維持するためには重要であると私は感じます.教員のモチベーションに関する研究[3]によると,研究成果を支えているのは「報酬」よりも,「自律的に研究できているという感覚」であることが分かっており,この感覚と一致します.

 そのような「研究者が情熱を傾けられ,自律的に動かせるテーマはどのように設定できるか?」は,記事で整理してきた通り,社会の普遍的なニーズを実感として理解できたときです.そのためには,社会との接点を常に維持しておくことが必要で,そのためには時間的・認知的な余白が必要です.

 一方で,研究者の77%が「無給残業時間での研究をしなければ成果が出せない」と答えています[3](オーストラリアの調査ですが,日本も状況は似ているように思います).研究者のライフステージによっては,無給残量時間での研究も難しい場合もあるでしょう.

 以上の状況を考えたときに,根本解決の一つとなるのは,就業時間内に,教員(研究者)の研究時間を確保することであることが導かれます.これをどう実現するかは議論が必要です.「知」は自動的にフォルダに溜まります.それを投稿論文化するだけの少しの投資で大きな効果(投稿論文数)が得られるように思います.


研究予算を増やせば,投稿論文は増えるか?

 ここまでの整理で,単に「研究予算を増やせば投稿論文が増える」という単純な構造ではないことが分かります.したがって,研究者の時間的・認知的なミクロ挙動を考慮して,投稿論文を教員が執筆しやすくする環境の設計を考えていくと,他にも良い方法が見つかるかもしれません.

 卒業研究で得られた研究結果が流通しやすい仕組みを整えることで,教員は「卒論の指導を,より丁寧に行おう」というモチベーションが生まれ.また,社会からも最新のニーズや課題を取り入れようという好循環が生まれるはずです.学生にとっても,社会にとっても良い影響があるように思えます.


おわりに:錆びついた水門は組織で開ける

 研究室の卒論フォルダに,価値ある知は眠っています.足りないのは,水門のハンドルに油をさし,スムーズに開けることができる仕組みの設計です.

 錆びついた水門を,研究者一人の力でこじ開けると1 mmくらいの隙間は開くでしょう.しかし,組織としてハンドルを支えれば,確実に水は流れ始めます.大学が「知の拠点」であるならば,それは,知を生む場所であると同時に,知を社会へ渡すための水路を設計する主体となっても良いはずです.

 そして,その設計ができる大学は,社会から信頼され,受験生が目指す大学であり続けるでしょう.


参考資料

[1]東洋経済オンライン,https://toyokeizai.net/articles/-/6988?display=b

[2]信州大学,信州大学における「学術コンサルティング制度」について

[3]Helen M.G. Watt, Paul W. Richardson, Motivation of higher education faculty: (How) it matters!, International Journal of Educational Research, Volume 100, 2020, 101533, https://doi.org/10.1016/j.ijer.2020.10153.





Kubota Lab.

形ある工業製品はすべて、材料を加工することで生まれます。私たちの研究室では、医療機器・精密機械・航空機・自動車などへの応用を見据えた新しい塑性加工技術の研究に取り組んでいます。また、材料特性の評価、変形挙動の数値解析、機械学習を活用したプロセスの最適化、そして製品性能の検証まで、ものづくり全体を視野に入れた統合的な研究を推進しています。